囃子を忘れるためには、囃子と同じことをすると言うことがよくわかった。昨日は大阪矜持の日で、手話仲間と飲み会だった。さすがにネイティブは全く着いていけず、それでも本当にいい思い出になった。素敵な人がいて、友達になれたらいいなぁと感じたけど、連絡先は交換できなかった、それに手話が着いていけない。やっぱり手話は言語だった。二次会は鷹に行って、交流を深めた。ろう者もちょう者も飲み会では同じで、一緒に話しているとすごく楽しかった。もっと話せるようになりたいと、モチベーションだけはすごく上がった。でも、技術は伴ってなくて、留学当初、全く会話が分からず話について行けなかった時代を思い出した。本当に、手話は言語だと改めて思うのが、手話は時代と共に使い手によって手話が変わり、生きていると言うこと。それも言語の特徴を備えていると思ったし、やっぱり彼らが何を言っているのかもっと知りたい!と言う思いがすごくした。 Eva 6:53 #10272024

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@mizuo posted 3 weeks ago

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