子どもは残酷な生き物だなぁと、感じてしまう。わたしもオカンにずけずけともの申してしまう。もう少し気持ちを寄り添うように話が出来ないのかと、今になれば思うが目の前にしてはイラっとしてしまう自分がいる。オカンも年をとったとこの頃本当に思う。確かにわたしの友人のことなんで覚えていなくて当然ではあるけど、いろいろな友人の思い出がごちゃごちゃになっている。そして、生活をする上で、オカン自身も少し年をとったなぁ、そして、自身の姉が認知症になってしまったことにとってもショックを受けていて、もしかしたら私も。。。と感じながら時をすごしていると感じてしまう。今日も、昔の話をしていて、わたしの友人の話になりとんちんかんな話をするので、すこしきつく回答してしまうと、オカンもすこしちょっくになっていた。しまったなぁと今になり反省している。オカンは本当に頑張ってくれている。わたしは自分があの年になって、あそこまで頑張れるだろうかと感じる。きっと無理だし、その前に死んでいると思うし、ある意味、死んでいたい。オカンに、あんたはわかっているのか、わかっていないのかわからないけど、うけながすのはうまいという話をした、そうするとオカンはすこし切り返すように、この家に嫁いで来て、周りは敵(おばあちゃんにオトン、オトンは見方ではあったけど、、、)そのなかで、オカンいわく、処世術としてこのような受け答えになった。わたしは絶対に喧嘩はしなと決めて時間を過ごしてきたといっていた。それはそうだなぁと感じる。オカンはほんとうに偉大。オトンも本当に偉大。子供の為にほんとうに頑張った2人。そんななか、子供たちは親に対して残酷になる。もうすこし、いたわれる余裕をもつ自分にならなければと感じる。仏道修行とは勤行とはそういった孝行を学ぶ修行なのではと感じている。豆から連絡があって、少し調子が良くなったらしい。豆となかよくなって、本当に私の中での心の支えになっている。荒はもちろん連絡はないし、べつになくてよい。豆との関係をより良いものにしたいと感じている。 Eva #22:51 #07032026
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